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30女の雑記

映画『花束みたいな恋をした』の感想

働きたくなさが天元突破したので、先日有休をとって観てきました。

この映画好きだな〜、また見たいな〜という気持ちになったので登録して放ったらかしにしていたはてブに感想を認めようと思います。

前置き

  • ネタバレしかない
  • 記憶力があまりないので勘違い、覚え違いがあるかもしれない
  • 感想書くのが苦手なので、自問自答形式にしてる
  • 書きたいことを書きたいまま書いてる

以上を念頭において読んでください。

どんな映画?

菅田将暉さん演じる大学生の山音麦(やまね・むぎ)と有村架純さん演じる大学生の八谷絹(はちや・きぬ)

二人はある日、明大前駅で終電を逃し、ひょんなことから一緒に時間を潰すことになる。そこで意気投合して惹かれ合った二人の5年間のお話。

なんで観に行ったの?

Twitterでフォローしてる方が話題に上げてて、その時点では「陽キャ向けの恋愛ものでしょ(そう言う映画がやっているのですね)」という感じで、そこまで興味はわかなかったんだけど、王様のブランチの映画ランキングでランクインしていて、「幅広い世代の方が楽しめますよ」と紹介されていたので興味がわく。あと、「この二人、絶対別れる」という謎の確信を得たので、いっちょ観るか! と思って観てきました。

どうだった?

Twitterでも言ったけど、一言で言うなら「労働は悪」

まあ、冗談だけど。

詳しく

就活が上手くいかなくて、就職を諦めてフリーターになった絹(ジェラート屋さんでバイト)

イラストで生計を立てたいなと知り合いの紹介で1カット1000円で絵の仕事をする麦(実質フリーター)

そんな感じで一緒に暮らしてたけど、麦の親からの仕送りが打ち切られて、生活のために二人とも就職することに。

絹は簿記をとって個人クリニック(歯医者かな?)に就職し、麦は絹に数ヶ月遅れて物流系の会社に就職が決まる。

まだ小さい会社だけど、今後大きくなるし17時で帰れるから絵を描くこともできる! と順風満帆な感じだったけど、現実は甘くなくて、普通に残業あるし家に仕事を持ち帰ることもあるし出張もあるしで、その辺からどんどん二人がすれ違っていってしまう。

この二人って好きなものが一緒(好きな作家、映画、芸人etc...)だから仲良くやれてた関係で、仕事が忙しくて本も漫画も読む時間がなくなっちゃった麦と、変わらずそれらを楽しんでる絹とでは今まで共有していたものがなくなった状態になるのよね。

あと社会に出たことによって価値観もそれぞれ変わっていってしまった。

私が覚えてるシーンだと、転職を考えてる絹とその話を聞いて怒る麦のところ。

「仕事は責任。どんな嫌なことも受け入れるしかない」と言った内容を主張する麦と「やりたくないことはしたくない」と言う絹。

「取引先の人に土下座して唾吐かれて、それでも仕事だ」って麦が言うと絹は「そんなひどいことされたの!?」「その人は今村夏子さんの『ピクニック』を読んでも何も感じない人だよ」って返す。この「今村夏子さんの〜」ってセリフは絹が学生時代の就活で疲弊していた時に麦がかけた言葉なんだよね。

言う側と言われる側が逆転してる。あと、絹の中にはあの時言ってもらった麦からの言葉が残ってたんだなと思った。(残ってたのか、忘れてしまってもそのような例えを使う感性はあの頃のままだったのか)

麦の就職した会社はブラックか否か

そもそも「ブラック企業」の定義とは?

麦のわずかな視点でしか書かれていないけど、ブラックと言えるほど法令違反をしているようには思えなかった。小さい会社で事業拡大中? とにかく、忙しいところなんだなとは思った。怒鳴ったり厳しく注意する先輩や上司は出てこないし、むしろ励ましてくれてるし(手伝ってはくれない)

忙しいけど職場の雰囲気はそんなに悪くなさそうなので、ブラックとは言えないかなと言うのが私の見解です。

絹の仕事観について

「やりたくないことはしたくない」

分かる。私もそんな思いで働いてるので職場では我が儘放題です。

ただ、一緒に生活している相手(麦)に転職の相談をしなかったのはちょっとまずかったのではないかなと思う。だって、収入下がるわけだし。

麦が忙しくて話す(相談する)時間がとれなかったんだとは思うけどね。

仮に転職後も収入が変わらなかったり、むしろ上がるなら、私だったら事後報告にしてしまうな。だって、『私の』仕事が変わるだけで、二人の生活に変化はない(はず)だから。

こう言うところがダメだなと自分でも分かってはいるけど、これが私の人生だ!! って思って生きてるからいまだに独り身なんだね。(突然の自分語り終わり)

 

二人について

運命の出会いだったけど、運命の人にはならなかった。

偶然出会った二人は、好きな作家が同じで、同じ芸人のライブに行く予定だったけど行かなくて、本の栞に映画の半券を使ったり、ジャンケンのルールが納得できなかったり(なぜ紙が石に勝つのか?)そんないくつもの『同じ』が重なったら運命の人だって思ってしまうし一目惚れレベルで強く惹かれてしまうのも分かる。

でも、二人の『同じ』ってあくまで趣味の範囲で、さっきも書いたけど片方がその趣味をやめてしまうと多分話すことがなくなってしまうんだと思う。

私が感じ取れなかっただけで二人には趣味以外の繋がりがあったのかもしれないけど、麦が就職してからはずっと「一人で娯楽(小説、漫画、演劇etc...)を楽しむしかない絹とそれらに触れることなく仕事に没頭する麦」しか写ってなかったように思う。

二人を見て、パートナーと趣味が同じである必要ってないんだなと改めて実感した。

麦に思うこと

夢見ることをやめた夢みがちボーイ。

どこでそう思ったのか定かではないんだけど、全体的に麦は甘ったれのロマンチストな印象だった。

ちょいちょい結婚の話をするところがそう思った要因なのかな?

あと麦はすごく優しい。就活がしんどくて駅で泣いてる絹の元に部屋着ですっ飛んで行って抱きしめるのよ。優しいよ。しかもその駅って絹や麦の家の最寄りではなく、新宿駅(おそらく。駅構内の案内板的に)

一人で泣いてる時に駆けつけてきてくれる男っていいよね。

絹に思うこと

夢見るフリしたリアリストガール。

リアリストなのは恋愛に関してだけで、それ以外はそうでもないかな。

加持さん(オダギリジョー)との関係については、浮気一歩手前ぐらいだと思いたい。何度かデートして手を繋ぐやハグぐらいまではしたけど……最後まではいってないでほしい。浮気は重罪なので。万死に値するので(個人の意見です)

この映画の好きなところ

共通の友人の結婚式に参加して別れを決意するところからラストまで。

前々から考えていたのかもしれないけど、参列した結婚式で「よし、今日別れ話するぞ」と二人とも決意するところがいいなって思った。恋の終わりって大体どちらかの気持ちが残ってることが多いから(円満的に別れたことがほぼない女の意見です)もちろん「好き」だけじゃなく恨み辛み未練などの負の感情込みで。

結婚式の帰りに観覧車に乗って(式場がみなとみら近辺だったよう)そこで「実はね」と今まで隠していた本音を話す二人。夜景はそんなに感動しないと言う絹。絹は夜景よりミイラのほうが好きだよね。実は俺、あの時(初デートで行ったミイラ展)引いてたんだと言う麦。相手のために相手に近づきたくてついた優しい嘘を告白する二人(この嘘に関する話は他の方の感想を読んで、確かにと思ったところなので私の純粋な感想かと聞かれたらNOとなります)

実は違ったんだと本音を話してより深く互いを知るのではなく、終わりに向けた下準備なんだよね。最後だから言っておこうみたいな。終わらせるからこその告白。

観覧車の後はカラオケ行って二人で歌って、その後ようやく別れ話をするためにファミレスへ。

学生時代に二人でよく行った思い出のファミレス。いつも終電まで喋ってた。二人でイヤホンを分け合って音楽を聞こうとしたら、近くの席のおじさんが「そんな聞き方しちゃダメだ」と絡んできたあの場所。

いつも座っていた窓側の席は他のお客さんがいて、その奥の席に通される二人。

別れ話の最中に麦が「結婚しよう」って言い出してしまうところがあるんだけど(時系列に自信ない)そこで「恋愛感情がなくても結婚してる夫婦はいる」といった感じのことを言ってしまう。自分で「恋愛感情ない」って言って、はっとする麦。別れを決意したのは恋愛感情がなくなったからで、でも絹と離れたくないがおそらく彼の本音なのかなと思った(なぜ別れようと思ったかは式に一緒に参加した友人に話してるんだけど、私はその部分で何を話していたか全く覚えていないので、そこから麦の心情を推察することができないのでこのシーンのみで話しています)

対する絹は「今日が楽しかったからそう思うだけ。楽しいままで終わりにしよう」と別れる意思は変わらない。今別れなかったとしてもまた同じことの繰り返しで、きっと次別れ話をする時は相手のことを嫌いになっているかもしれない(個人の見解です)

そんな絹も後からやってきた若い男女を見てあの頃の自分たちを思い泣いてしまうのです。そこにいられなくなって、店を飛び出す絹と追いかける麦。泣いてる絹を抱きしめて一緒になく麦とちらりと映るファミレスの看板。ここ、ジョナサンだったのか。なぜかずっとサイゼリヤだと思って見ていたよ。

帰り道で絹が「こう言う時(最低最悪な時)は2014年W杯でブラジルがドイツに大敗を喫したことを思い出して、それと比べればマシって考えるようにしてる」って内容のことを言うのね。そうしたら麦は、そのブラジルの選手は「我々の道のりは美しかった。あと一歩だった」って言ったんだよと続ける。まさに二人の恋を表す言葉だなと思った。一緒にいるのがすごく楽しかったのにそれを続けるための『あと一歩』がなかった。

別れても同棲してるからすぐにバイバイなんてことできずに、引越しするまで3ヶ月かかった麦と絹。でも、その別れてからの最後の生活の方が楽しそうに見えたんだよね。きっと「恋人」という枷が外れて、出会った頃の「趣味が合う、話が合う二人」に戻ったからだと思う。

友達になることもせずキッパリ関係を断つ二人に好感が持てた。あと、偶然、カフェで再会してしまった時(互いに新しい恋人らしき異性と一緒にいる)は話したりせず、カフェを後にする際に互いに背を向けて手を振り合う(おそらく自己満足で相手は気づいてない)のが良い別れ方をしたんだなと思えてよかった。

印象に残ったシーン

ファミレスで別れ話してると、よく座っていた席に若いカップルが来て、その二人が出会った頃の自分たちのようであの頃を思い出して二人とも泣いてしまうシーン。

終わる二人とこれから始まる二人の対比が好き。

ちょっとしたただの偶然なのかもしれないけど、自分たちが別れ話してる側で好きなバンドや本が同じで盛り上がってる男女を見たらあの頃の自分たちを思い出してしまうよ。

あの頃は楽しかったね、私たち遠くに来ちゃったねという長く付き合った男女の末路を感じた。

タイトルについて

『花束』で思い浮かぶのは当然お花で、花束に使われてる花とはすなわち切り花。

切り花はお世話しててもそこまで長くは持たず枯れてしまうところから、綺麗でもいつかは朽ちて終わってしまう恋の話と解釈しました。

朽ちてしまってもその花が綺麗だったという事実は変わらないからそこまで悲観することもないと思ってます。

まとめ

元恋人に対して悪感情を抱かない別れ方をしてみたかった。

思い出して暖かい気持ちになれるような、そんな恋がしたかった。

悔しくなるほどの羨ましさはなくて、純粋にいいなって思えた。

そんな、花束みたいな恋だった。

蛇足

別れ話のシーン見てたら頭の中で巡音ルカの「Just Be Friends」が流れてた。

歌詞の内容とはあっていないんだけどね。